USELESS

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アランロブグリエの不滅の女という作品。開始5分の映像だけでもちょっと狂気じみた視点があるように感じたが、展開凄まじい。アフォリズム的な時間感覚、それでいて時間の流れを感じさせない、なにか我々を麻痺させるようなシーン配置。サンプリングで作った、乱雑に音が配置された音楽のような、それでいて音楽的である。異様な形でこれはストーリーじみている。 ストーリーについてのストーリーとも思える。我々はストーリーを作り出すが、作り出している我々自身もストーリーの中に組み込まれている。それは誰の作ったものなのか?夢の中の自分を考えてみると、投企であると同時に、また創造主でもある。ボトムアップでトップダウンを覆すことがある。フィードバック系が、実行系を支配することもある。劇中では、女が見つからないのではなく、見つからない女を探すことをしている。なぜなら彼こそが夢の主であるから。そして現象は複製され、再帰する。つまり、ある操作の実行は、それ自体として自らを定義するようなこと。 ヨーロッパ横断急行もみた。おもろいわ。不滅の女が63年で、その次の二作目なのね、やろうとしてることは似通ってて、我々が物語の中にいるとき、よむとき、みるとき、そのとき我々はまた語り手、作り手でもある。語るがわとみる側とで視点にに違いがある。語り手はすべてを見据えた上で語るが、見る側にとっては今が全てである。その違いがある事象のコンテクストに影響を与えるとしたら?つまり、物語のあるワンシーンが、まったく違う意味を持ち得るかもしれない。そうした実験が映画にはあった。 このことから転じて、次のようなことも言える: ある対象について、作り手でありすぎるな、オーディエンスでありすぎるな。ちなみにジェフ・ミルズはDJとオーディエンスのマインドはかつて一緒だったとおっしゃってた