USELESS

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恍惚な[体験]。内的体験、あるいはエクスタシー、XTC、オーガズム、何でも。あらゆる快楽の中でも嘘っぽくない3本の指に入るモノ(2本の指は捨てなくてはこの3本を得られない)。そんな最高のものの1つ。恍惚の体験。再現性たかくやれるかってっと難しいのだが、コツがないわけではない。最近ちょっと上達してきた。嬉しい。 別に方法は何だって良いんだけど、私のよく使う方法は夜歩きながらやるってことだ。”オカズ”として音楽聴きながらでも良いかもしれない。外の空気によく溶け込むような曲、アンビエントテクノ等、がおすすめ。まあ無音でも良い。 まずは歩きながら、まあリラックスするまで淡々と歩く。いろんな感覚が入ってくるのを感じる。視界を捉える。耳に入ってくる音を捉える。空気の温度、足をつたってくる地面の感触。そうしたものに集中する。やがて感覚に覆われたような気分になる。 ここで集中が深まってくると、認識の統合の輪郭がぼやけてくる。あやふやになる。例えば目の前の信号機は何か異星の建造物を見ているようになる。これは何だ?音は、なんの音かわからない。どこからどこまでが音の切れ目なのか、わからない。ただ2つの耳から波が伝わってくるのみになる。音楽聴いててもこれは同じ。それらの感覚は、自らの感覚なのか、あるいは他者の目を通した心象なのか、何かしら再生されたものなのか、わからなくなる。そうして、感覚の海にだんだんと浸っていく。 ただただそうした感覚の圧倒されるようになったところで、次は無関心へと舵を切る。私の裸形の絶望、あらゆる経験に対する退屈、そして侮蔑を思い出す。そうして感心をなくしてしまう。 すると全てが明らかになるような瞬間がある。今まで何かに塞がれていたような奔流が、身体じゅうに現れて、消える。涙を流して感動するばかりだ。それが、しばらく繰り返し現象する。恍惚。まあ、そのうち終わっちゃうんだけど。でも時間は問題じゃない。 方法もおそらく関係ないと思う。自分にとって入りやすい環境で、ランさせたら良い。自分はやらんけど薬も同じだろうと思う、要はリミッターの外し方?あるいは瞑想に近いのかもしれない。マントラを唱える代わりに、肉体感覚をつかう。瞑想も気息があるけどね。 ここまで書いて思い出したけどこれってゴータマが最初らへんに師事した瞑想の方法かも。。ルソーも同じような経験してなかったか。やだ。。