USELESS

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創造性の研究について読んだりなどしていた。試行とあたため、脱抑制ができて解法にたどり着けるみたいなのがティピカルなひらめき論になっているらしい。これは多分つくる人なら経験的に分かる。とりあえず色々やってみて、なんかつっかかったら温めるってのはまあ疲れたら遊ぶ、休憩とるみたいな感じで自分もよくやってはいるのだが、脱抑制ってのがまあ難しいしここがキモかなと。研究の中ではパズルの解法が、ひっかけ、最初の思い込みを誘導しておいて、そっからどうやって抜け出すかみたいなのを観察していて、それが脱抑制なんだけど。最初に問題を解くフレームを定めてしまうのが(普段なら情報を絞って省エネにしてくれる作用)、まあ盲点に気づきにくくさせるみたいなことで、あえてフレームを外すってのは、なんか外れているもの見ると創造性かんじるわよね?そういうことなんだよ。簡単にいうと常識に囚われてると解法はいつまでも見つからないみたいな。ThinkDifferentみたいな。あと極論いうなら試行サイクル最大限まわせるだけの投入時間、も必要かなと思う。インターミッテントな投入。 あんま知らなくて意外だったのが他者意識で、他者がいると役割が相対的になり脱抑制が起きやすいみたいな話、より多角的問題を捉えられるよ、て話だったんだけど別にこれは他者がいなくても他者を想定するだけで(自分の映像を他者が問題といてる映像として眺めるだけでも)効果あるそうで。ようは自らの試行だとしても対象化することで批判的になるじゃん?そんで別なベクトルで捉えられるようになる。と考えられている。問題解決を因果関係ネットワークにおけるグラフ探索だと捉えるなら、より多くの点が得られるってのは、より早い解決につながるだろうなって感じ。視野、といっても良いかもしれない。端的に、より大きく考えてみよう、ということになる。ちなみに広いと、空間が広いと拡散的思考が促され、狭いと集中できてるみたいになってそう、な実験結果もあった。集中するには個室が良いが、アイデアは散歩から生まれるってか。まあスグに作業に戻れないならプラマイゼロかもしれないが。 なんだろうな。実装の可否は差し当たり問わないとして、結局さあ、考えてみると創造性こそAIの仕事なんじゃないの、と思わずにいられない。たとえば美的な解決とか。たとえば美に関する人の感情をビッグに集められてて、そいつらを解きほぐして、ああ、じゃあこんなのどうよ?てAIが出す。それだけなら味気ないので例えば擬人Twitterアカウントでフォロワーでも集めるかワラ。それを綺麗だ天才だって人がもてはやすの。あまりにも全てが理想的に進むとしての話だけど。そんなもん作ったら俺の友達は絶望するかな。いやそんなんで絶望するくらいなら最初っから向いてないよって話だけどさ。まあ要するに人間の人生やら仕事やらがクソに成り下がっていくわけで。そんなもん最初から信奉するほうが悪いって思っといたほうが良いのかしらん?何であれ、時代が進めば絶対に起こることだわな。プログラマの、創造の創造への衝動を止められる人間はいないだろう。そして未来を予測する最善の方法は、それを創造することだ。未来予測って暗くなりがちですけどね。