USELESS

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最近やっている遊びは、普通にうまいメシをつくることで、やっぱうまいもんくうとうめえなってなるし、自分やっぱ天才的に料理うまいなと思う。うまい。うまいは正義か?それは分からないが、少なくとも気を紛らわすことはできる。この前つくったのはKornパスタで、ずっとKornの1枚目を聴きながらまともな味になるのかという実験で、俺やっぱこのアルバム聴くと笑いが止まんねえしヘッドホンで爆音で聴くならビンビンに痙攣するだけのものはある。そのノリでパスタソースを作り、パスタを茹でる。もうほぼ何も考えずに頭を振り玉ねぎを切る、油をひいてにんにくを焦がし、材料を炒めスパイスとハーブを適当に入れ込む。調味料ってのは、イコライザーみたいなもので、つまみをひねるようなものだ。重くしたり、ブライトにしたり、だ。もはやなんか味見しなくても自分の欲してるサウンドは出る。うまかった。これこれ、これが欲してたものだ。自分で作るメシが一番うまいな。外食が苦手。売られてるメシの味が苦手。セルアウトしなければ店が成り立たないなら、本当にうまいメシを出す店は潰れるだろう。個人的な味の店は見つけがたい。けっきょく自分が自分の時給で専属のシェフを買う。特にやっぱ油と塩とにんにくの加減は非常に自分のさじ加減というものがあり、その日の体調によっても違うからやっぱ無心で手を動かして作った料理が一番うまいということになる。まあ週のほとんどは料理せず栄養と雰囲気だけ摂取しているけれども。料理はまあ、たまに、定期的にやる遊びとして良い。 でも既にある程度の技術がないと遊びにならないか。上達のコツを1つあげるなら、まずはずっと同じメニューばかり作るってことだな。何年もずっと毎週カレー作ってて。同じメニューばかり作ってると、定量的な枠の中に自分のさじ加減の定性的なコントロールが1回ごとに入るので評価しやすく、学習が促されてきた感覚がある。どんなメニューでも作れるようになっても、なんか結局、粗い、再現性の低い腕前にしかならない。けっきょく粒の細かさでメシの描写力ってか、深みが出るよな。あえて深み出さないこともあるけど。で不思議なことに、同じものばっか作ってると、たまに気分を変えて他のものでも作るかってなっても、何となくどうやったらうまくなるか、わかるし、実際できる。いろんなものを作って共通にあるジェネリックなものを習得しようとするよりも1つの深いところにまで降りていくほうが、結果的には普遍性を獲得するようなときがあり、俺はよくこのことに驚く。毎週おなじもん食ってて飽きないの?て言われるけど、飽きたから食わないとかうまいから食うとかじゃねーんだよ。