USELESS

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特にパルプ・フィクションみたいな映画みるときはポップコーンが欠かせないように、ポテチが欠かせない本がある。ブコウスキーとピンチョン読むときはなんか無性にポテチつまみながら読みがち。いまとかブコウスキーのペーパーバック読んでんだけど、折を見てチップスターを買ってくる。でつまみながら読む。なんだこれ。いや、なんか怠惰で良いじゃん。ピンチョンも謎だが登場人物の間抜け具合というか、そういうものがポテチ欲を刺激する。もちろんカフカとかDHロレンスとか読んでてそうはならない。20世紀のアメリカ文学になると起こる現象っぽい。ポテチの枚数って意外と少ないのであの虚しさも良い。俺は袋に入ってるポテチよりチップスターやプリングルスのような整形されたポテチのほうが趣深く感じるのだが、それは複製を象徴しているからだろうと思う。機械的にポテチを口に運び、食う、あの瞬間に感じているものは、ありふれた人間のありふれた瞬間だよな。ピンチョンの物語はあんまり進行を感じさせない、総体として襲いかかってくるようで歴史の完了した時代の特有の線的ではないもの、複雑系のようなもの、あの圧倒される感覚がポテチを求めさせるのかもしれん。ブコウスキー読んでてポテチ食うのはなんかありふれた実存のありふれた悲しさをかく詩人だよなと思ってて読んでてもむず痒くならない、あの心地よさっつーかいたたまれなさの心地よさがポテチ的というか。もちろんだけどうすしお味しか買わない