USELESS

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近いところにあるものは関係性がでる。関係性ってのは、類推できやすさってことだ。人が認知するときの。たとえば文章を読んでいてAはBである、BはCである、だからAはCなんだよってことを言いたいとき、第一命題と第二命題が距離的に離れていると人は一気に理解できなくなる。文章の終わりに宣言した変数は、その次の文章の頭で呼び出しをするべきだ。それ以上は、もたない(人間の認知機能はどれだけ低く見積もっても低く見積もりすぎることはない)。別にこれは文章に限った話じゃなくて、デザインでも音楽でもコーディングでも映画でも何でも良いけど、近くにあるものは、距離の近さは類推を因果する。そこには関係が生まれる。ところでプログラミングは関係性の文学だ。昔プログラミングの本読んでてコメントではなくコードに語らせろって書いてあってよく分からなかったんだけど、それなりにコード書いて分かるようになったのは、コードってのは物語なんだってことで。ただの関数と変数の集まりなどではなく、それらは互いにつながりあっている。新しい関数が登場したら、この登場人物が何をしでかすんだろうって読む人は思う。まあ、読めば、何をしているかは分かる。でもこれはただの描写であって物語ではない。物語は、登場人物の意図や欲望が読者の脳でからみあうときに生じる。例えばすごく個別的な処理をする小さい関数が出たあとに、それを呼び出す関数を定義されていると(近くにあるのが大事だ)、そこに流れが生まれる。ああ、こうしたいんだ、これをしたあとは忘れずにupdateHoge()したいんだと分かる。それがいわば人物の意識なんだ。物語は静的な事実だけでは生まれない。だから手続き型っぽい長々した無味乾燥な処理がが並ぶコードよりオブジェクト志向っぽい小さい部品が絡み合ってる疎結合なコードのほうが文芸として美しいと感じる。小説でも、最初の読み始めって気が重いじゃないっすか、でもページの半分くらいすぎたあたりからはもう一気に徹夜して読んでるみたいなことがある。物語の進行は決してリニアではなく、描写による出来事の連鎖が、重層性を帯びてくるときに、美しい小宇宙を形成している。それを私たちは見てみたいと思うし、読むほどに絡まった関係性は、質量を持つから人を惹き込むんだ。たとえば人物の人となりがわからないとき、まだその人物のメソッド、つまりは行動の流儀がわからない。だから次にどう転ぶのか、予想すらつかない。だが半分もページが読み進めば宣言が完了しているから、関係性によって、あるタイプの出来事(=引数)をとったときにどう動くか、それを予想あるいは期待して読み進むことになる。文章をページを追って得られる快感は、まさにこうしたところにあり、関係性の連鎖によるダイナミズム、意志や欲望であったりを、引力でひかれあう小さな宇宙として見ることが物語性なんだ。そして近くにあるものには引力が生じるよね?これをどう配置するかが小説家の腕にかかっている。あるいは、プログラマかもしれない。音楽家かもしれない。なんでも。結局のところ、私たちは宇宙の子供でしかない。母なる宇宙への憧憬があるということなのかもしれない。