USELESS

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再帰関数で実装したときの快感は、フィリップグラスのメロディに耳を傾けるときのそれに似ている。ループじゃない、あれ再帰なんだよな。と思って実際にMaxとNodeで実装してみたことあるけど。2つのページって曲があって。5つの音が並んだ配列を再帰的に処理するような構造になってる。ベースの5音に対する処理を書くだけで曲全体を描写できるエレガントさがある。再帰は常にエレガントだ。少ない行数でも豊かな表現が生まれる。それは詩的なエレガントさに近いかもしれない。ゲーテが数行の言葉で瞬間に見出した人生そのものを言い当てるような凄みを感じるようなあれだ。それは冗長な繰り返しやパターンを超えて、把握しきれないもの、かといって視界に収まらない訳ではないもの、そんなものが自然のメタファーとして機能するような印象をさえ受ける。実際に自然を眺めてみると、植物が伸びて枝分かれして花を咲かせるようなところは再帰てきな参照を自身に対してしているように見える。てか、まあ、ツリー構造っていうくらいだから、当然か。話変わるけどオウテカのリズムも再帰的に聞こえる。おそらくベースのグルーブとなるリズムパターンはループ的な関数で、発音のインデックスが再帰的に決定するような関数を合成して最終的にあああいう変化に富んだ(どころじゃない)リズムになる訳で、そういう発明があったのに未だに4ビートのループ処理にかしずいてるテクノ連中の方々はなんというか音の雰囲気でごまかしているようにしか聞こえない。まだそんなに人間の脳で思いつくような発想に期待しているの?別に進歩にかしずいている訳ではない。ただ今ここの我々の人間性にとって危機的って意味で、ループ処理のような、シシュポスの神話のような、そういったものにはやはり疲れてしまう。