USELESS

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日記を書く習慣は中学生の頃からあり、今日まで10年も続いていることにさっき気づいた。最初は大学ノートに書いていたが、寝る前に数行。好きな女子について、ギターのコードやスケールについて、部活の(幼くてそうとは気づかなかった)退屈さについて。リンキンパークを聴いてなんかラップ?なければかっこいいのになと思ったことについて。 高校になるとツタヤで借りてきたアルバム1枚1枚の感想文、が占めた。ソニックユースのデイドリームネイション初めて聞いてよく分からんなと思いつつベッドに寝転びながら聴いてたんだ。するとなんか突然なんだこれすげーよくないかと感じ始める。あれは覚えている。あの、分からんなりに聴きつつ、急におおおおってなるアレ、10代の特権だよなあ。ティーンエイジライオット。他に何書いてたっけ。やってたバンドのこととか、好きな女子に告って振られたとか。あとは余白に絵を描いた。たぶん普通に日記的なことだと思う。もう燃やしたので分からない。 今現存している最古の日記は2017年のものだ。適当な日を読み返してみても、そこには現実感がない。まるで架空の人物が日々の行動や所感をしたためているような印象さえある。それでいて所々ちょっと涙もろくなってしまう。まるで昔好きだった映画を見返すような感じだ。そこには感動とくだらなさが同居している。 日記を書くことは過去との断絶だ。それは曖昧な記憶ではなしえない。日々の事実らしいものは全て解釈に置き換わる。それらはなんら事実ではない。すべてはそうだったという思い込みにすぎない。虚構が過去から今ここにまで迫ってくる。それは私の背中の皮を剥ぎ取り、骨を1本ずつ抜き取り、私を無形にする。日記を書くことのただひとつの効用はそういうところで、だから俺は毎朝おきて30分後に日記を書く。