USELESS

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よく何かを編集するときに「彫刻する」っていうけど、ピントを合わせるって言った方がより正確な気がしてて。つまり、注意を引きたい部分が自然と立ち現れてくるようにするってことなんだけど。 たとえば、こうやって段落をかえると段落の先頭が目に入ってくるわよね。それはなぜかというと上に空白があるからで。森の中に落ちている葉っぱは目立たないが、アスファルトの上の落ち葉はすぐに目にとまる。デザイナーさんとかはこういうことを自然とやっている。ような気がする。知らんけど。空白によって何を引き立たせるかみたいに気を配ってると思う。情報のチャンキングみたいな。疎結合にするってのは、逆に密な部分を立たせるってことでもあり、視認性が高まる。読みにくいコードは、関数が整理されてないとかコメントがないとかってより、それ以前のノリというかなんか気持ち悪いなって思うのは情報のチャンク化で、どこからどこまでがひと段落なのか分かりづらい。それを整理してやれば自然と目に入ってくるものが、前景に出てくる。つまり焦点が合う。みる人の目を持ってピントを合わせる。よく「ぼやけた音」っていうけどさ、あれもコンプレッサーのアタックとリリースが、どこを抑えて行くかってので、自然と目立つ部分が焦点になる。そのタイム感覚がルーズだとぼやけた音になる。μs単位でも割と違う。でやっぱピントの合ってる音は気持ちいい。ライブで見たバンドの曲がよかったのに音源聴いてみると音ぼやけてること多いのはそのエンジニアが遠近法をダヴィンチに習わなかったからだろう。多分。 もし人間の持つ印象を操作したいのなら焦点を合わせたい場所に目が行くようにする。他は、削るなり遠景に配置するなり単調にしてみるなりすれば良い。だから注意しないといけないのは、多才な人は往々にして無才に見える。ジェネラリストだとしてもそれを隠しておいた方が商売上は選ぶ側にとってラク。もちろん色々できるのはいいけどさ。複雑さを単純化すると売れたりする。 で話変わるけど私が嫌いなのはシンプルぶってるだけの空っぽな何かで複雑さを経由してないただのイミテーションコピー。パンクロックのシンプリシティーってのは怒りを経由している複雑さがあるはずなんだが、いつの間にかそれがバカのお遊びみたいになって形式だけが残ったみたいなのは本当に嫌いです。あとなんだ、キャラ演技的なコミュニケーション至上主義とか、体裁だけの動画コンテンツ、ネットミーム、全体的にWebの形式主義にはうんざりしている。空っぽで何もなくピントの合わせようもない