USELESS

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ダーティなものが俺を惹きつける。サイバーパンクのモットーはHigh Tech, Low Lifeだというのをブログのコメント欄で何気なく見つけてハーンそうやなと思ったんだけど俺はどんだけ成功しようがDirtyさを忘れたくない。マトリックスの主人公のプログラマが住んでる部屋みたいなアパートで一生過ごしたい。いま住んでるところの気に入ってるところは狭く汚くて家賃が低くてゴミ捨て場にはネズミが住んでることだな。美しいものは往々にして胡散臭い。渋谷の昼間の百貨店に置いてあるような服に欠けているものは美しさではなく汚さだ。それが美しい醜悪さを隠せない。悪霊のスタブローギン師匠が貴族なのに下賤になってそれを気に入ってるような節があるのはそういうニヒリズムの現れでもある。てか、美学的な価値が物事の本質にあるとすればそれは神を論証するようなもので、不毛の域を出ない。大学の授業ぶりにカントの判断力批判よんでっけど前2つの批判を読んだのでまあなんか今やわかる話で、感性的な直観と、理論的理性の自由意志の間にBeautyがある。人間とは快を好むもので、しかしそれは定量的なものではない。感ぜられた質量に伴う美が人間のウンコ的な排泄物であるなら、それはかぐわしい美しいクソで、なんらの崇高さもない。しかし汚さにはなんかこう、我々の推論的理性の捉えきれないほとんど超越的と言ってもいい何かがあり、俺はそいつが真に美しいと’見て’いる。単なる汚さの中にも知的な汚さとそうでない汚さがあり、インテリジェンスが宿るものは、そこに何か無慈悲で容赦のない傾向的なものがあり、ジェネラティブアートの求めていることはそこにあるんじゃないかなと思う。感情を掻き立てるような美ではなく、むしろその感情を笑い踏みつけるような美、汚く放埒で無調律な美が、常に俺を誘惑している。それは裸の理性で、バタイユが見てとってたものはこういうものなのか?便宜的に美と呼んでいますけれども。