USELESS

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高校生ぶりに真・女神転生をプレイした。SFCの最初のやつ。。やっぱおもろいな。意外とゲームとしてまとまりがあったというか。一気にプレイしたけど(ゲームをするのは旅行みたいなもんで、やるか、やらないかでお試しはない。大体3日か1週間くらいぶっ通しで1日10時間やる)、ダレることなく、惹き込まれていく、というか、巻き込まれていくと言った方がいい、日常が少しずつ崩れ、悪魔が蔓延る世界で、一度はぶっ壊れた世界の建て直しをめぐって、各勢力に翻弄されていく中で、自らの意思で世界を選びとる。しょうもない奴を拒否ってたら結局ニュートラル行った。オーライ。 昔のゲームは良かったと言いたくはないのだけど、やっぱ表現の寡黙さって体験の豊かさにつながってるなと思う。より正確にいうと、クリティカルな部分しか入れないからこそ、そこがヒットするというか。必要な情報しか入れない、というか、入れられないのが、良かったのかもね。無駄な演出がない。それがゲーム性、カタルシスになっていく。脳に近い感覚。 脳に近いものは、気持ちいい。それは何かしら私たちのうちにある拡張の欲望を満たす。脳が記憶を引っ張り出すのと同じ速度で情報が得られる時代がやってきたら、そいつはやばいだろうな。ただ今でもWebの読み込みなんかでも1秒以上のオーバヘッドがあるし、それがとても脳から遠い。情報と情動、それから意図が0距離で結びつく体験性がビデオゲームの究極だろうけど、今でもまだまだ遅い。というか遅くなっていると言ってもいい。冗長なアニメーションや説教のようなセリフのような表現が、果たして体験性に結びつくのか。 メガテンに話を戻すと、RPGとしてカッティングエッジだった部分は、ユーザの選択という部分で脳に近づいた部分だろうなと思う。選択肢によってルートが変わるって、ねえ。しかもあんま前置きとかヒントもないしいきなりお前はどうすんねん?て聞かれて嫌じゃ死ね殺すぞワレって戦闘になるか、協力するか。RPGにありがちな一本道という感覚があまりなく、自分で調べろやみたいな部分も多く、それが不便でもあり、ユーザの主体性を(結果的にかもしれないが)引き出す。 悪いところは、やっぱ戦闘が多すぎてテンポ悪くなってることかな。。エンカウント率が異常。魔除けの呪文を確保すると逆に悪魔が全く出なくなって寂しいし。あとはメニューを開いたり閉じたりするたびに1秒くらいの演出が入るのが遅い。0秒ですべて終わって欲しい。何百回と繰り返すようなことに、演出はいらない(というかロードしてるのを待ってるのを誤魔化してるのかもしれないが)。何事も美しいのは最初の数回だけで、美人も3日で飽きれば美食も3回で飽きる。そうなれば残っているものは、コストでしかない。デザイナー(広義の意味での)は、これをよく考えないといけない。 限りなく脳と結びついたUIがあるとすればそれこそ脳に電極かコンピュータを埋め込むことなんだろうけど、それはまだ先の話として、どうすれば脳に近くなるかってことが何より重要だ。スティーブジョブズがアランケイをクオートしてたんだけど、"People who are really serious about software should make their own hardware."とかいう。全ては体験につながっているし、それこそ我々が(時折ゲームに、そしてテクノロジーに)求めていることで、どうすれば自らの物語を獲得できるのかにおいて価値は決まる。