USELESS

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寄りかかれるものがあると印象として安定感は出るけどスリルに欠ける。4つ打ちのテクノが退屈なように、補助線で構成された冗長なデザインが退屈なように、規則正しい生活が心身と経済的な安定と引き換えに退屈なように、そうしたビルドの手法は安定は退屈だ。でも何も規則を示唆するものがないなら、受け手としては迷うし、困る。だから線を引いて、あとで消すようなプロセスがやはり必要なのだろうと思う。そうして出てきた何か攻めたもの、それでいてソリッドなものの抽象が連なっていくことに創造的な技能の獲得はある。抽象化なんだ。で、抽象化するためにはやはり退屈で冗長なプロセスを繰り返す必要があり、それによって呼び出しコストの圧縮がなされる。補助線がなくてもバランスの取れた絵を描けるようになる。 攻めたデザインをしているように見えるものも、よくよく見てみると規則が暗喩として残っていることがある。ただそれを安定的でソリッドなデザインだとみなすには、受け手にも抽象度の高さが求められ、つまりリテラシーだ、時間単位に処理できる論理が、抽象によって前提が圧縮されている人とそうでない人とでは違う。だから間口を広げるとよく言うけれど、それは受けての認知能力を低く見積もった際に少なくともこれはヒットすると予想される最小限のノードが、論理グラフによって相手の情動反応を引き起こすところにまでつながるようにするを意味する。ビジネスの人なら8:2の法則なんて呼ぶだろうし、プログラマならホットスポットと呼ぶかもしれない。 俺がよく信頼できる指標として用いるのは退屈で、何かをするのに退屈するようになったら、それは十分に技能的に熟達したと思っていい。つまり、次に行け、あるいはそれを売れ、だ。それまでは何もできていない。それで良いのか見極められるのはもっと後だ、脳にとって新しいこと(抽象化されるまではまだ刷り込まれていないこと)に触れている間は、楽しいし、ハッピーかもしれないが、客観的に見ればその仕事はクソなんだろうと思っていい。逆に、何かが自分の作ったものとかがクソだと思えてくればそれは良い兆候だ。