USELESS

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ガンダムを全話見た。面白かった。79年のファーストガンダム。社会的コミットメントについての話として見た。つまり、ホワイトベースに乗せられた子供たちが戦いを通じて義務を果たし、社会的な帰属を獲得していく話。戦争に巻き込まれる彼らに顕著なのは1)16〜18歳の子供であること、2)非軍人であること(金銭的報酬がない)、3)我が強いことの3つで、つまり子供は自分がやりたいやりたくないだけで行動しようとするものだけれど、否応なくホワイトベース(社会)に乗せられることによって社会に対してのコミットメントを果たさなくてはならない。少年たちが義務を果たすことは、それ自体が社会を維持する(ホワイトベースを守る)ことであり、帰属に対しては代価を支払うことを彼らは覚えるというか。義務を果たさなければ貢献しなければそれはフリーライダーで、あらゆる種類のコミュニティにとって追い出す対象になる。途中で、アムロが脱走して責任を放棄するんだけど、確かガンダムのパイロットを他に替えられそうになって嫌だつって抜けたんだよな。これは、アムロが完全に自らの責任を見誤っているというもので、この頃には義務としてではなくアムロは自分の意志で(やりたいから)ガンダムに乗っていたと思う。が、やるべきことがガンダムに乗る以外になりそうになった途端、やりたくないことはやらない、と脱走する。これは義務の放棄で、責任を取らないフリーライダーになっていた証拠だ。結局アムロは戻ってくるんだけど、懲罰として独房に入れられる。クレクレ君とも言えるかもね。仲間に入れてもらっているのに、互助関係を無視しているような、ギブしない人。アムロの他にもカイも一時離脱するエピソードがあるが、出ていった後で心寂しくなり、戦いに舞い戻って義務を果たそうとする。そうしなければ仲間に入れてもらえない。最後の方で象徴的だと思ったシーンが、ララァがアムロに対し、なぜ戦うの?あなたには守るものがない(もはや彼に父さん母さんを失ったも同然であり、故郷を失っている)と聞かれんだけど、実はアムロは守るもの(=故郷)を手に入れているんですよね。つまりホワイトベースという場で、それは戦うという義務によって獲得されたものであり、ララァを殺すのは気が進まなかったはずなんだけど、それでも社会にコミットするためにアムロは戦いに勝つ(戦争においては、兵士はコミットすべき社会を背負っていて、相手を殺すという義務を果たさないといけない状況にある)。で、最終話でアムロが爆発するジオンの基地から脱出して最後に戻ってくるのがホワイトベースの仲間たちで、船自体はもうなくなっているんだけど、そこに戻るべき場所がある(みんながおかえりのポーズをしている)ことがラストシーンになっているんだよな。一見するとハッピーエンドのようだけど、暴力的な印象も覚えた。