USELESS

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最近はどういった風の吹き回しか英語を話す。とてもたくさん。この3ヶ月くらい遊びに行くとかして人と会うと7割くらい英語で話している感覚がある。パンデミック後の東京は外国人増えた。まあなんでも良いけど皆なぜか英語うまいねと言ってくれる。自分の感覚としてはまだまだ英語わからねーなって感じだけど彼らが東京で出会う日本人にしてはお前すげーな普通に話せるじゃんってレベルだと思う。で先日そこについて突っ込んで聞かれたので(逆に日本語を習得するのもキツそうだなと思う)、そのときに答えたことを中心に整理しながら書く。結論から言うと必要性が全てだと思うんだけど、まあ訳あって暇なので最初から詳しく書く。 初めに断っておくと私は留学したわけでもなく帰国子女でもなく純粋な日本人だ。で、他の日本人のごとく中学で英語の授業が始まって文法なんかを習い始め、普通に受験勉強をして、いわゆる進学校に入った。高校では特に勉強していなかったが、英語は苦手じゃないなって感じだった。ルールを覚えて実装するだけに思えた。この頃に欧米の音楽や映画をTSUTAYAで漁っていたので、英語に対する憧れというかモチベーションはあった。大学入試に向けて自習した。文法と基本的なボキャブラリ、それから発音はこの頃に覚えた。つまり、読み書きと聴き。そのあとは特に勉強らしい勉強はしていない。なので話す練習は全くしていなかった。大学に入ったあとに、イギリスに3週間ほど行ってたことがある。なんとか聴き取れれば理解できるが、そもそも耳が英語にチューニングされていない感覚があった。話すのは、同じ語学学校に来ている非ネイティブのヨーロッパ人で、彼らとは同じレベルくらいなので友達になれた。しかし帰国するとまあ特に話す機会もないし必要ないのでしばらく英語の勉強は忘れていた。日常的に英語でググったり、時たま論文とか小説を原文で読むくらいで。だから特に時間を割いてもいないし、話すことに関しては訓練を受けていないと言っても良い。思い出したけどUKに行く前にIELTS受けて、その当時のレベルがCEFRで言うところのB1かそこらへんだった。読み書きは悪くなかったけど話すのがダメでスコアが出なかった。 そのあとは英語などというマイナースキルに構ってる暇もなかったので日常的に情報収集とかに使う程度で、あとは金と仕事とギグに奔走していた。英語が必要だなーと思い始めたのはこの23年くらいで、ちょうど職業的にエンジニアになったあとで、それはまあ普通に英語できた方が何かと早いから。ドキュメントやテキストは英語で書かれたものが読みやすく、日本語に翻訳されたものは読みづらい。ライブラリなどについての一次情報は常に英語で書かれるので、英語が読めるならこちらの方が良い。あとコーディングする時に日本語入力と英字入力を切り替えるのがクソだるい(丸々1秒くらいかかる)ので最初から英語でコメントなどかけた方が物理的に速い。あと英語で稼げるならそちらの方が儲かる(まだしていないけどそのうちそうする)。ので、英語に対する必要性が高まった。日常的に練習したいなと思ったので10代の頃から10年以上続けている日記も英語で書くようにした。あとは日常的に英語で考えるようにした。脳内翻訳の廃止。今は5050くらいの比率で運用している感じ。 勘のいい人は気づくと思うけど、英語に対するROIが上がったことが全てだと思う。つまり、英語を日常的に取り入れることによる苦痛とか資本投入を差し引いてもお釣りが出るかどうかで、この価値が腹の底から感じられない限り人間は外国語を習得できない。単純な興味とかかっこいいからとか趣味ではなく、生き残るために必要になれば人間なんだってやるんだよ。多分。それが証拠に、私の見てきた限り日本語に堪能な外国人は全て日本語が本当に必要な人々だった。才能とか生育環境によって必要な投入時間に差が出るだけで。私もたぶん来年は1000時間くらい投入すると思うが、それでこのあと30年の間にペイすることが多いからそうする。実際に1000時間の機会コストは甚大なんだけど(だってその時間はたらけば儲かるし、何より楽しく遊べるし)、でも後々やっぱりペイするものが多いと確信しているので英語がんばるかーと思う。私は。多くの人はこのROIを確保できない。だから話せない。けど、そこさえ整えばあとは戦略に落とし込める。 まずは資本を用意することだと思う。あとは義務教育の範疇の英語(文法、ボキャブラリ、発音記号とか)をマスターしていること。それを前提として、私のとっている戦略としては英語でのスキーマを獲得することで、ざっくり言うと英語での人格を形成するみたいなことなんだけど。つまり、我々の意識は基本的に言語的な説明の集合によって成り立っている。言葉のない意識はありえない。日本人の意識には日本語がうずまいているが、その下には多層に広がった表現のネットワークがある。例えば英語で何か言いたいことがあって、でもどう言ったらいいか分からないってことあるじゃないですか。そのときあなたの頭の中では日本語で説明された表象ネットワークを参照していて、それは英語でできていない。だからそこから英語に翻訳しようとすると、どうしても無理が生じる。なので意識を英語で組み直し、それに切り替えられるようになった人は簡単に話ができるようになる。なぜなら心に浮かんだことをそのまま言えば済むから。そしてこの方が断然に速いのは言うまでもないことだ。日本語には日本語の言い方があり、英語には英語の言い方がある。言い方とは言語が持つネットワークを反映している。例えば"educated"と言う形容詞は日本語で何と言えば良いのか、と聞かれた時に、私はすぐに答えられなかった。単純に「教育された人」と言ってしまえば多くのことがLost in translationになる。そのとき思いつかなかったんだけどまあ「インテリ」って認識で近いんだけどそれもなんか英語で理解しているコンテクストとは微妙に違う気がする。このように逆に日本語で何と言えば良いのか分からないなってこともある。言い方、つまり世界を説明する仕方に断絶がある以上、意識内での翻訳は話すのに適さない。代わりに、英語で世界を認識し説明する言語的ネットワーク(つまりこれがスキーマだ)を必要とする。そしてこれには英語で思考し、感じるもう一つの意識を後天的に育てるしかない。 で、実際にどうするのかというと端的に言うと英語で世界を説明し直すってことになると思っていて。例えば日記を英語で書くとか。あとは独り言や考え事も全て英語でやる。随時、単語ごとのコンテクストは修正する。他にも方法はいくらでもある。というか自分で工夫しろ。スキーマができると人の言うことも分かってきた感覚がある。母語を聞いた時に、滑舌が悪かったとしても周りがうるさかったとしても「聞こえる」のは実際にはわたしたちは聞いていないから。私たちは実際には人の発した言葉を、と言うより発せられるよりも前に予測している。それはスキーマを通じて行われている。今日書いたことは詳しくは「英語独習法」と言う本を参照してほしい。Kindle Unlimitedで10冊くらい英語本をめくったけどまともなのは多分これくらいだった。