USELESS

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思いだすことは想像することであって、それはデータベースをクエリするようなことじゃないので実はとても疲れることだ。人間は記憶を、そのままビデオレコードのように捉えがちではあるけれど、それは認知的なスキーマを通じて得られた印象を圧縮して格納しているにすぎず、思いだす際にも既存のスキーマで状況を補わないことには人は思いだすことはできない。何かを思い出すこと、過去の記憶を呼び起こすことはある意味で詩的な行為ですらあり、イングマールベルイマンの野いちごとかいう映画はまさにそれだと思う。過去は虚飾であるなら、未来は幻想であり、今ここにある現実とは我々の短期記憶の織りなす便宜的な情報空間だと思う。ゆめゆめ忘れるなかれなことの一つだと個人的に思っている。 あと関係ないけど何も思いだす必要のないくらい短い時間の中でで失敗を繰り返すことが成功すると思っていて。例えばテスト駆動開発を実践すると気づくことは(ギーキーな例ですまん)、単位の実装からそのフィードバックまでのイテレーションが短ければ短いほど、行ったり来たりするスイッチングのコストが全体としては大きく節約できると言うことで。あれ実装して、これ実装して、さーて全部できたデプロイするかーとなって初めてバグに気づくようでは、あれこれどこで書いてたんだっけ?みたいな探索に時間がかかり、そのコストが案外と馬鹿にならないと思っているし、脳を酷使している感じがある。思い出すことは意外にもコストがかかることで、だからこそ脳のワーキングメモリの中にコードを全部覚えている間にすべてバグ修正までやってしまって完璧にして後で忘れても問題ないようにするというふうにするととてつもなくストレスが軽減される。私は2、3週間前のことなんかほとんど覚えてないんですが、忘れることは一つの特技ですらあると思う(逆にそれで1ヶ月分の仕事を1週間で一気に仕上げないといけないことがあるがまあエクストリームなやり方は嫌いじゃない)。 自分のやったことを忘れることは、常に新鮮な気持ちでそいつを反省できるってことでもあるし、それはクリティカルな仕事をするには必要なことだと思う。今までにかけてきたサンクコストに縛られるようでは、吝嗇性の奴隷から脱却できていない。短い時間でさっさと「完成」させることは、そいつを一旦忘れることを可能にするし、そうすると再度見直してみた時に客観的な気持ちでああこいつはクソだなと思えるようになる。山頂を目指すのではなく一合先の休憩所を目指して歩くというか、いやむしろ目の前の蝶々を追いかけて走るのが適切なプロセスかと思う。