USELESS

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自戒のために書く。まず何がなんでも生きる。生きることに対して努力すること。動物でもやっていること。それを徹底的にやること。肯定すること。生きることを肯定しなくてはならない。生きることは決定することではなく、受け入れることだ。自分のいかなる決定をも受け入れること。そして他社の決定を受け入れること。世界と存在とを一つの決定として受け入れること。それを否定することは、見ないことであり、何も見ずに山中で生き残ることは難しい。それは緩やかな自殺でしかない。まず見ること。そこにあるものをそこにあると認めること。他者もまた営利団体であること。この世には非営利団体などないこと。自らの置かれた被投性を一つの決定として認めること。まずそれら全てを認めることよって、笑うことが可能になる。バタイユが言ったように、生きることは絶えずサイを投げることで、決定されることに対する肯定が、笑うことに繋がる。つまり、悪は存在しない。戦いは常に生きるものによって行われる。死者に参加権はない。何を恐れているのか。生を恐れない者だけが愛に値する。私は死者を愛することはできない。ゆえに生きるものを生きているものとしてみなす。当たり前のことだよな。なぜ、私たちは往々にしてそれができなくなるのだろう?あなたを受け入れないものは幸いである。なぜならその人はあなたを受けれないことによって生きるから。あなたに与えないものは幸いである。なぜならその人は利益を得て生きるから。人は何かを得るという条件においてのみ、与える。与えるだけで得ることのない人は生を否定している。無料で何もかもが手に入ったとして、それではとても生きているとは感じられないだろう。だから得ること。利益を得ること。食い物でもなんでも良い。動物でもやれること。それをきちんとやることだ。その時になってようやく初めて人は初めて愛することができるし、笑うことができる。鹿になれば良い。