USELESS

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ガンツを読んだ。よかった。漫画の原作があるのは知ってたんだがどうも映画化されたりしたチープな印象が拭いきれなくて(確か中学生くらいの時に友達とワイワイ劇場まで見に行って吉高由里子かわいーくらいの感想しか出てこなかった)、なかなか手が伸びてなかったんですが、こいつは良い。割と一気に37巻まで走破して2周目まで読んだ。執拗なほど一貫したノリがある。じゃんじゃん人が死ぬし、基本的にデスゲームっつーか殺し合いだし、それでかつ最後までいやほんまにバンバン殺しちゃって良いん?という葛藤というかテーゼを投げ出さない態度は一貫していて良い。中盤に出てくる桜井akaチェリーボーイの回で端的に言語化されるんだけど、トンコツとのメールの問答の中で、いや、人は絶対殺しちゃダメだよ!と言う中で、いや法律で決まってるからダメなのかって言うと納得がいかない。いや、そうじゃなく、一度殺してしまえば戻れなくなってしまう、別の世界に行ってしまう、と言う曖昧な返答にトンコツは終わるわけなんだけど、これは実はけっこう的を得ている。つまり、人を殺すことは、修羅の世界に行ってしまうことなんですよ。つまり、自分が他者に暴力を振るうことは、それは他者もまた自分に暴力振るって良いよってOKすることで。人を殺すことは、自らもまた殺されることを決定的な形で許容することでもあるわけで。殺しという決定的な暴力は、自らの手で決定的な暴力の現実性を証明することだ。それはおそらく決定的に世界を変えてしまうよね、という意味でのトンコツのセリフだと思った。それは修羅の世界に足突っ込むぞ、と。別に相手に申し訳ないとかそういうことじゃなくそれ以上にその殺した後で自らもまた殺され得るということを認識しながら生きるのは結構しんどくない?という意味で。それはおそらく人間を捨てて怪物にならないと耐えられない。ガンツという不条理そのものが与えてくるミッションの中で、キャラクターたちが怪物になってしまうか、それとも人間になるか、てのがテンポよく描かれていて良い。 そういう意味で和泉クンは怪物になってしまった人。人間どうしがお互いに人間として関わり合えるのは、理由がない限り、お互いに危害を与えないという意味において、彼は人間をやめている。そして新宿での虐殺を行なって修羅の世界に入ってしまった。最後に彼は吸血鬼集団の襲撃に遭って死ぬけど、他のガンツメンバーに救出されないのは彼がすでに修羅の世界の住人そのものになってしまったから。一応、彼にも葛藤はあって、新宿で大虐殺を行う前に3ページくらい銃を撃ち渋るんだけど、その先はもう行ってしまったもんはしゃーないって感じでバンバン行ってて、あーここが分かれ目かと。もうここで彼は殺し殺されることを許容してしまっているんですね。 じゃあ人間じゃなかったら殺しても良いんかいなというツッコミが第1巻からずっと徹底してあって、加藤なんかはそこですごくすごく葛藤するんだよな。ネギ星人であろうが殺すのを渋っていたのは殺すのが怖いからとかじゃなく、彼は殺されることを決定的に意識してしまうことに対して恐怖している。それは多分ゴキブリを殺すとかとは違って、なんつーか相手にも人間と同じような理性あるいは暴力性を認めた瞬間に、修羅の世界への扉があらわれる。でも結局やっぱり殺さないと生き延びられない訳で、弟のところに戻るっていうモチベだけで大阪編では活躍しまくるっていう。自分の割と利己的な理由で他人に対して暴力を振るっても良いのかっていうとうーんと思うかもしれんがじゃあお前は他の命を屠らずに生きていけんの?っていうとそうじゃない訳ですよね。殺人は自分に対する暴力をも肯定しうるけれど、しかしまた同じ理屈で自らが生きることは、どんな理由があろうと徹底的に生きることは、他の生が生きることをまた肯定する。自分の命のありがたみがわかって初めて他者の持っているかもしれないそういうありがたみもまた分かるという訳で。だからね、他者の命を軽んじる人ってのはあんまり強く生きていない人なんですよ。有り体に言って。それは著者の他の作品(も読んだ)でも顕著に描かれているなあと思ってて。ギガントに出てくる悪意とか、自分の人生に退屈してるというか、大切にしてない人間の退屈しのぎって感じやもんね。犬屋敷さんも彼が本当に聖人かというと最初そうも思えないのは、やはり彼が彼自身の利己的な生を肯定できていないからで、でもやっぱり娘さんが死にそうってなって他の大多数の人間を見捨てて助けに行くってことが、その大多数の人間のそれぞれの利己的な幸福を尊重するということでも(極論ではあるが)思っていて。 で、玄野くん、ケイちゃん、彼が最終的に人間になる物語なんですよね、ガンツって。やっつけに行ってください、て言われて星人どもを殺しに行くって言う、これは修羅の世界に行ってしまう一歩手前な状況なんですけど、彼はそっちに行きかけて、でもやっぱりタエちゃんと言う存在が大きくなるにつれて人間味が爆上がりしていくんですよね。最初の玄野はほんっとに薄っぺらな野郎なんだけどその空虚さを埋めるためにガンツのミッションにやりがいを見出したりもするんだけど最後の方の「死ぬかよおおお」の重みはやっぱりダンチだよ...。すげえ成長っぷりだよな。チビ星人い「(小島多恵が)そんなに大切か」って聞かれて、「や、別に...」で回を終了していた男とは思えないよ。レイカに複製されてまあ良いんじゃねってノリで結局レイカとやるんかいってのもまた正直で良い。彼が最後に巨人の将軍とタイマンはるけど、それはやっぱ星人に対する彼なりのリスペクトあってのものなんじゃないかと思いたい。